今回は僕が大学受験をすることになった経緯とその結果を書いていきます。
ピアノ
僕は小学2年生頃から高校3年生までピアノを習っていました。
中学生の頃はピアノが好きで、ピアノしかなくて、将来もピアノで生きていこうと思っていました。
(ちなみに特別上手かったわけではありません。)
ピアノの上達にはできるだけ早くグランドピアノで練習をすることが大切と言われています。
そこで、中学3年生の頃にはグランドピアノが家に届き、練習をするようになりました。
このように、高校入学当時の僕には音大進学しか頭にありませんでした。
大学訪問
高校1年生の長期休暇に家族で東京観光に出かけました。
祖父の弟が都内の私立大学で講師をしていたので、その大学を見せてもらうことになりました。
その大学は、都会の喧騒から少し離れた穏やかな場所にありました。
正門から足を踏み入れると、メインロード沿いの並木が奥まで続きます。
地面は確かレンガだったと思います。
歴史のありそうな古い建物が両脇に建てられていて、大学なのに観光地のようだと思いました。
こんな場所があるんだなと、かなり好感を持ちました。
情報収集
家に帰宅後、好印象だった大学について調べてみます。
どうやら、有名な私立大学の括りの一つで、難易度も高いらしいと知ります。
(難関大学はいくらでもあると後から気付きますが。)
しっかりした大学のようで、さらに私が関心を持っていた心理学の授業があり、ここに行きたいと強く思いました。
果てしない道
志望大学が見つかったものの、1年生の1月に受けたベネッセ模試の偏差値は国語が37.7、英語が40.2と壊滅的でした(本気で受けてもないですが)。
志望大学の偏差値はベネッセ模試だと60後半、河合模試だと60ぐらいでした。
圧倒的な学力格差がありました。
偏差値は、テストの点数と違って、数点伸ばすだけでも結構大変です。
でも、僕は諦めませんでした。
なぜなら入試方式には、2教科+内申書の受験方式と、3教科の受験方式があり、数教科程度なら追いつけるだろうと思ったからです。
他の方式は覚えていませんが、最低2回も受験のチャンスがあります。
注: ベネッセの模試は大学進学しない人も受ける模試で、偏差値が高く出やすい。河合塾の模試は大体が大学進学する人が受ける模試で、偏差値が低く出やすい。
努力
志望校が決まってから、普段の授業を集中して受けるようになりました。
高校2年生の頃はかなり勉強していたと思います。
高校3年生では朝6時に起きて夜12時に寝るまで、15分の仮眠を除いて何かしらの勉強をしていました。
やる気がない時は「あさきゆめみし」の漫画や英単語・英熟語帳を読んでいました。
英語
入試ではどちらかというと英語の学力が試されるので、英語に特に力を入れていました。
授業の予習では、教科書の英文のSVOなどの機能をノートに全部書き込み、英単語の全ての意味をノートに書き込みます。
教科書以外ではZ会の単語帳を愛読していました。
国語
国語は苦手で、選択式問題の答えは分かるのに、なぜか文の意味は分からないという不思議な状態だったので、少し手こずりましたが、そこそこできるようになりました。
世界史
地歴公民は世界史を選択していましたが、世界史も苦手でした。というのが、人名という出来事と無関係に名付けられた名詞を記憶することが非常に苦手だったからです。どちらかというと、生物の方が機能に関連した名称が付けられているので得意でした。
それでも、なんとか世界史も勉強を進めました。
偏差値60の壁
勉強を開始して高校2年生の後半になりますが、なかなか偏差値が伸びません。
このことを当時の友人に話すと、偏差値には60の壁があるらしいと言っていました。
進路の先生
その頃、学力の伸びなさを進路の先生に相談したことがあります。
その時言われたこと。
「頭打ちって意味わかるかな」
「クラスで成績優秀で生徒会で活躍している生徒が行くような大学」
「数学の勉強をした方がいい」
少しばかり辛辣ですが、良い先生なので実際はそれほど嫌な言い方ではありませんでした。
ただ僕はそのような言葉をかけられても同意しかねました。
先生:「なんで行けそうだと思うの」
僕:「今の時点で過去問の英語で6割ぐらい取れてるから」
過去問を解いたら6割ぐらい取れていて、後1年あればできると思ったんです。
先生がどんな反応をしたか覚えてはいませんが、先生は無理だと思っていました。
後編に続きます。