このブログのテーマの一つは「不登校」です。
僕自身は「不登校」という言葉を使うか迷いました。
なぜなら「不登校」という言葉は誤った連想を引き起こすように思うからです。
「不登校」から連想されるもの
“不登校”という言葉には単に「学校に登校しない」ということだけでなく、次の意味合いが連想されるように感じられます。
・弱い
・暗い
・ダメな人
・引きこもり
・勉強できない
・将来が絶望的
・暗い
・ダメな人
・引きこもり
・勉強できない
・将来が絶望的
思いついただけでもこのような言葉が連想されてしまいます。
「不登校」でなくても
実際には「不登校」以外の人にもこのような面は内在しています。
多くの人が何かに躓き落ち込んでいる時期はありますし、多くの人が一人で引きこもりたい時だってあります。
学校に行っていても勉強が苦手な人もいれば、感性豊かに物事を感じる人もいます。
本来ならば誰にでも内在するこのような面が「不登校」の人に押し付けられているように感じます。
「不登校」という言葉によって、多様な個人が他者の勝手で枠に押し込められ、利用されている可能性があります。
しかし実際には、「不登校」の人の性格は様々です。
「不登校」の理由
「不登校」の理由も多様なものがあります。
僕が知っているだけで次の理由があります。
・親の他界
・生まれながらに集団との関わりが苦手
・嫌がらせ
・病気
・理由がない
・生まれながらに集団との関わりが苦手
・嫌がらせ
・病気
・理由がない
特に、「理由がない」という声を個人的にはかなり耳にします。
それなのに、新聞やテレビで見聞きする”不登校”という言葉からは、どこか画一的な印象しか感じられないのは私だけでしょうか。
おわりに
このように、実情に沿わない連想を引き起こしうる「不登校」という言葉は使いたくないですが、ある時代・地域に生きる一人として「不登校」という言葉を使う方がより様々なことを伝えやすいと思ったために、使うことにしました。
ただし、「」を付けることで、一般的な”不登校”の印象から距離を置いて考えていく姿勢を一貫して保ちたいと思っています。
(この文章、小学生ぐらいだと理解しづらいかも。考えないとな。。。)