僕が勉強で苦手なこと

小学3年生から中学までほぼ学校に行っていなかった僕は、志望大学入試の勉強はしていたのですが、それ以外はあまりしていません。

志望大学入試のためだけの勉強だったので、実は勉強で苦手なことがあります。

今回は僕が苦手だと思ったことを書いていきます。

勉強苦手ポイント

僕の勉強の苦手ポイントは次の通りです。

・書字
・制限時間内の複雑な計算
・受験科目以外の科目

一つ一つ見ていきます。

書字

学校に行っていると新しい漢字を何回も何回も書かされます。

すると勉強が苦手な子は少し漢字を書けるようになり、平均の子は漢字をよく書けるようになりがちです。英単語も同様です。

僕も小学生の頃は家に届けられたプリントをたまにしたり家庭教師の先生と漢字の練習をしたりしていました。

 

それでも、緊張しやすいこともあり、特に人前で制限時間内に書く時に、すぐに漢字が出てこなくなってしまうんです。

多分、僕の漢字力は同年齢の平均ぐらいだと思いますが(違うかも)、所属する集団によっては僕の漢字力だと心配されるかもしれません。

まあ、僕が今タイピングをして画面上で文字を変換しているように、大学入学以降書字をする機会は減っていき、昔習ったとしても習った全ての漢字が大人になってから書けるとは限らないし、度忘れだってするとも思います。

でも、僕的にはちょっと気になっちゃいます。

制限時間内の複雑な計算

僕の場合、なんとなく算数や数学(sinなど高校数学を除く)の知識は理解しているので、テストがあると色々計算して考えながら解くことが大体できます。

だけど、例えば、1分以内に解いて、とか言われると、試行錯誤する時間がないのと、少々緊張するので、解けなくなることがあります。

エピソード

最近になって目撃したエピソードがあります。

ある日、小学校で子どもの学習の様子を見ていたのですが、その子は筆算の掛け算をやっていました。最初に手順を理解していればそれに従うとできるのですが、その子は手順の理解が上手くできないようで、何度も繰り返し、さっきはできたのに今度は忘れているというように何度かミスをしていました。それでもきっと、この子はできるまで繰り返し問題を解かされて、次第に定着をしていくと思います。

僕の場合、最初に手順を説明してもらえればすぐにできるのですが、できてしまうからこそ、繰り返し問題を解かないんです。そして、それっきりになり、定着しないんです。

こうしても良かったと思うこと 

漢字の書字にしても計算にしても、せっかく勉強するなら、数年先でも覚えているかという定着を目標に勉強しておけばもう少し良かったと思うことがたまにあります。

大学ではあまりなかったですが、ある職場では板書する作業がありました。こういう作業に関わるとき自分が気になるなら、携帯アプリなどで漢字の勉強をするのも良いと思います。

受験科目以外の教科

僕は小学校や中学校で習うことは、テレビや雑誌などメディアに触れれば吸収できることが多いと思っています。

それでも、メディアが扱わないような人気の低いもの、例えば日本史や科学などは少し抜けてるところがあるかもしれません。

個人差

僕が苦手だと思うことを書きましたが、実際には、学校に行って授業を受けていても、できない人はほんの少ししかできるようにならない人もいると思います。

というのは、学校に行くか行かないかではなく、人それぞれ苦手なことがあるからです。例えば、抽象的な思考ができない人は算数・数学が苦手です。また、人によっては興味のない歴史は覚えれないかもしれないし、習ってから何年も経てば漢字も忘れていくと思います(40代の大人は漢字をどれぐらい書けるか疑問)。

このように個人差があるので、別に気にしなくて良いと思いますし、学校に行っている人の尺度に囚われすぎるのもおかしな話だと思います。

底上げ効果

公立の小中学校が提供するのは、学力や能力の底上げ効果だと思います。身長150cmの人が10cmの厚底靴を履くと160cmになりますし、身長170cmの人が厚底靴を履くと180cmになるようなものだと思います。ただ、同じ厚底靴だったはずでも、いざ履くとなると厚底靴の厚さが人によって変わることもあります。

おわりに

今回は学校に行っていないことで僕に少し抜けているかもしれない勉強の部分について書きました。

ちなみに、学校に行っていなくても僕が苦手なことが平気できる人も沢山いると思います。

 

それと、僕は勉強が好きで、大学以降、勉強が比較的得意な人が多い大学や環境に所属する機会が多かっため、こういう記事の内容になっています。

実際には勉強が苦手な人が多い大学もあれば、専門学校など高校までの勉強とは別のことを勉強して、手に職をつける人もいます。そのような方にはこの記事は必要ないかもしれません。

何はともあれ、それぞれが必要だと思うことをやっていくのが大切だと思います。